【子育て】絵本の読み聞かせはなんのため?|朗読のヒント

子供から「この絵本、読んで」と言われたとき、ほい来たと意気揚々と読むときもあれば、疲れてるから今日は勘弁してと思いながらも、渋々と読むときもあります。読み手側の親のテンションが、聞き手の子供の感じ方にどんな影響があるかというと、実はそう大差ないということに最近気がつきました。
子供は、その絵本が好きだから親にお願いしているのであって、スラスラと流暢に読んだり、わざと抑揚をつけて読むような朗読の技術的なものは、さほど気にしていないように思います。

絵本の読み聞かせ

子供に絵本を読んであげるときに、どうしてもその物語の意味や教訓を理解してもらいたいと思いがちです。だから、物語に入り込んでもらう為に、登場人物になりきってセリフを読んだり、効果音を大げさに読んでみたり、朗読が非常にカロリーを使うものになってしまいます。
おまけに「この絵はなんだろうね?」とか「この言葉の意味わかる?」など物語を中断して、子供に質問して答えを促すこともしばしば。
いつしか読み聞かせするのが負担となり、絵本から遠ざかってしまう時期もありました。

朗読のヒント

たまたま手に取った本に載っていた、あるアメリカの絵本作家の言葉と出会ったことで意識の変化がありました。


「心がきょう感じ取ったことを 頭があす理解する」(原文ママ)


子供の読書は「考える」ことより「感じる」ことが十分にされていなければならなくて、心の働きから面白いという感動が生まれます。性急にあすに手を伸ばして考えを強いることは、きょうの感動を弱めてしまう、といったものでした。
絵本は「絵画」で、読み手は「額縁」と表現する作家もいます。子供に読み聞かせをするときは、ただ淡々とゆっくり読めばいい。そう思えた瞬間、スッと肩の荷が下りたように感じました。
淡々と読み始めると、その絵本のポテンシャルに気がつきます。子どもの反応が大きくなってくると、自分の意識とは別に、自然と自分の声が大きくなっていることに気づくのも面白い感覚です。我に返り、自分は「額縁」だからと時にはトーンを落とすことも、読み聞かせのコツなのかもしれません。
(参考文献『えほんのせかい こどものせかい』著:松岡享子 東京子ども図書館)

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